2009年9月19日土曜日

盃 Cup of life



 あまりお酒が得意ではない。得意ではない、というのはあまりたくさん呑めないということで、けしてお酒がきらいなわけではない。ビールは苦手だけれど、おいしくて安いワインを探すのは楽しいし、たまには食事の前に日本酒を少々いただいたりもする。それでは、どういうときがその「たまに」なのかというと、やはり主に新しい器を求めたとき、ということになる。

 とはいえ、自分で古いやきものを見るときには、そのもののかたちや焼き上がりの雰囲気、釉薬の表情などが好みのものに眼がいくので、用途‥器型に細かなこだわりはなく、しいていえば、お茶を点てられないかな、と考えるくらいだ。そういった調子なので、それほど熱心に酒器を探すわけではないのだけれど、多くのものを見ていれば、とても気に入った雰囲気のものがたまたま酒器だった、ということは当然、ある。

 李朝‥朝鮮王朝時代のやきものには、現代の日本でいうところの酒盃というものはほぼ存在しないようで、では骨董屋さんが盃と称しているものは何かというと、メインの食器である直径17cmくらいの鉢のまわりに置くサイド・ディッシュ用の小鉢であったり、小皿であったりする。そういった中から、少し小振りなものをひろい出して盃に見立てるのだけれど、もともと無いものの中から探すのだから、当然その数は少ない。勢いがある、というよりはさっぱりとした印象を受ける刷毛目の小鉢は、かすかに掻きおとしによる陰刻があったりして愛らしく気に入っているけれど、見栄えが良いくらいにお酒を満たすとやはり、少々多くなりすぎるようだ。

 唐津と同じ窯で、日本で最初の磁器が焼かれたころに作られた初期伊万里の白磁の盃は、高温で焼けきっていない釉の、しっとりとした肌あいがちょうど良く、大きさとしても、あまりたくさん呑まない自分には理想的。朝鮮半島の、例のそのどんぶり鉢をそのまま小さくしたような姿からは、伊万里の陶工たちの出自‥もとはかの地から渡来した人々だったこと‥を、はっきりと見てとることができる。端反りの、きりっとした品格のある、とても美しい姿だ。

 くらわんか、というのは、江戸時代の磁器生産の中心である有田のものと比べると簡素に見える、長崎県の波佐見周辺で作られていた厚手の磁器を指して言う俗称だけれど、その名前の由来は、大坂の淀川を行き来する船を相手に食べ物や酒を商っていた人たちが、飯くらわんか、と、客である船員たちに声をかけていた、という話からきていることになっている。そういった話が紹介されるときにはだいたい、くらわんかの器は使い捨てで、そのまま淀川に捨てられた、と書いてある。実際はどうだったかというと、いくら磁器が普及してきたとはいえ、まだまだ高価だったであろうやきもの‥当時は割れたやきものを修復する商売もあった‥を、それも、しっかりとした耐久性のあるくらわんか‥遠く九州から運ばれてきた‥を使い捨てにすることは考え難い。たしかに淀川からは今でも陶片が見つかるみたいだけれど、割れた器をまとめて大きな川に捨てるくらいは有りうることで、ごみ捨て場がわりに捨てられたものや、事故にあった船の荷物だったものが発見されているのではないだろうか。
 長くなった。瀟洒な筆で野の花が描かれたくらわんか。李朝の秋草や、初期伊万里の蘭のような絵付けを想わせるけれど、遥かルーツはそこにあっても、この時代の器形や絵付けはもう、すっかり完成された日本のそれになっている。
 
 器を手に入れたときには眺めるのももちろん楽しいけれど、使うことができてこそ楽しい。それが酒器であれば、では、たまにはお酒を‥となるわけだから、つまり器ありき、やはりお酒好きの人とは思考の方向がちがうようだ。良かった、と思うのは、酒器というのは、盃にしろ徳利にしろたいてい高価なものなので、もしもやきもの好きでお酒も好きであったなら、とても困ったことになったであろう、と考えるからで、たくさん呑めなくともささやかに楽しめているのは、なかなか悪くないのではないか、と思っている。


Cups L to R:  Porcelain in “Kurawanka” Style, Hasami  Japan  Edo period  18th century.  Buncheong ware, Korea  Joseon dynasty  16th century.  White Porcelain,  Arita  Japan  Edo period  17th century.