李朝‥朝鮮王朝時代のやきものといえば、白磁と、もうひとつが粉青沙器(ふんせいさき)で、粉青沙器というのは所謂三島手とか粉引・刷毛目といった、茶色や灰色がかった土の上に、泥状にした白い土で化粧‥装飾をほどこしたもののことをいうのだけれど、15、16世紀の朝鮮半島の各地で作られた粉青沙器の中でも、独自の、そしてとても魅力的な雰囲気を持っているのが鶏龍山のやきものだ。
鶏龍山(けいりゅうざん‥ケリョンサン)は韓国の地図のちょうどまんなかあたり、大田(テジョン)近くに位置する霊峰で、古くからの名刹が今も残る、日本で例えるなら高野山のような場所らしい。朝鮮半島のやきものは、同時代に各地で同じような形態のものが大量に作られているイメージがあるのに、鶏龍山のものだけがかなり独特の様式を持っていることにも、かの場所の、そんななりたちが関係しているのかもしれない。
鶏龍山の独特の様式、白化粧土の上に、のびやかで奔放な筆で描かれた絵模様には、唐草や蓮のような、いかにもその土地の古刹と関連付けたくなるものから、ユーモラスで愛らしい魚や、モダンで洒脱な幾何学的なものまで(本人としてはちゃんと何かを描いたのかもしれませんが)があり、いくら眺めても飽くことがないのだけど、そういったものはそれほど簡単に身近に置けるわけではなく、そこで、このようなかけらを愛でることになる。
たかだか小さな欠片ではあるけれど、ここには鶏龍山独特の極端に小さい高台も、細かい砂を散らした重ね焼きの跡も、たっぷりした白泥の化粧も充分に見てとれるし、見込みにたまった青みをおびた釉には、魅入られてしまうほど。
冒頭に戻れば、白磁に対する粉青沙器は、磁器に対する陶器だと誤解されていることが多いけれど、朝鮮王朝時代のやきものというのはおおかた高麗青磁から移行したものに違いなく、こうした陶片を見てもわかるように、生地も釉もまったく磁器のそれなのだ(同じ血脈の唐津も)。ただ、鉄分が多く含まれているためにそれが灰褐色‥鶏龍山の場合はかなり黒く‥に発色してしまい、それを白く見せようとしたことから、白土による化粧という技法が生まれたということ。
ものすごくきめの細かい、焼き締まった断面を見て、「ああ、やはり磁器っぽい」とつぶやいたりすることも割れていればこそ。とはいえ、「この器が元のかたちであったら、きっと目を見はるほど素晴らしかったことだろう」と、思ったりもする、その心のゆらめく感じも陶片を眺めるたのしみのひとつだ。
Pieces of Buncheong ware, Mt.Gyeryong kilns Korea 16th century